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日本がITに弱い理由-100点を目指す国

先日、日本のニュースで2021年11月に新型コロナウイルスのワクチン接種後、体がだるくなるといった話題が取り上げられていました。

新型コロナウイルスによる死亡リスクが著しく低下することを考えると、若干の体調不良は許容範囲内でしょう。しかし、日本人は完全性を追求します。だからこそ、ここに問題が生じます。

完璧を目指すより完成させる

ちょっと語弊があるかもしれませんが、プログラミングの世界では70点でいいからまず完成させることが求められます。完成させないと見えてこないものがあるからです。

しかし、日本の教育では、常に完璧な100点を求め、周囲より優れていることが強調されます。特に、偏差値の考え方がこれを象徴しています。

偏差値70は上位2.2%に当たりますが、明治政府の日本が先進国に追いつこうと努力していた頃、その2.2%が日本を牽引していました。

その結果、日本は中国が植民地にされたようには、ならなかったのです。この事例から、当時の偏差値教育は、優れた少数の天才を探し出すことに重きが置かれていました。

そして100年たって価値観が変わっても、その教育の仕組みは取り続けれれています。

私の子供が通う海外のインターナショナルスクールで、学生たちがあまり勉強していないように思えることが、この感覚を強めています。

我が子が勉強している様子をほとんど見かけませんが、成績は良好で、学校でも表彰されています。その学校はケンブリッジ方式を採用しており、タイ語やタイの歴史以外の科目はケンブリッジと同じカリキュラムを使用しています。そのため、成績は中間テストと期末テストの結果だけでなく、日常のレポートや小テストの結果も大きく反映されます。そして、成績評価は4段階評価で行われています。

一方、日本の教育では、自分の順位が他人の成績によって左右されます。友達が良い点数を取ると自分の順位が下がる、そんな競争心が小学校から高校まで植え付けられています。一方、海外の学校では、自分が真面目に取り組んだ結果が評価され、他人の順位と自分の順位は直接的な関係を持たないのです。

ITの業界、特にプログラミングでは、70点でも良しとされる考え方が有効です。NASAの例がそれを象徴しています。

NASAは、”100点を目指すことに意味はない”と述べています。

100点を目指すことはいいことかもしれませんけどもその残りの5%を詰める努力をするならばもっと多くの機能開発することができます

NASA

IT業界は、自動車や工業生産とは異なるアプローチが求められる分野であり、大人数を動員すれば良い結果が得られるわけではありません。

その証明として、Googleがあります。Googleでは一つのチームは約10人前後で動いています。

例えばGoogle Glassの開発も10人ほどの少数精鋭チームで行われています。

以上のような観察から、私たちはプログラミングにおいても、そして教育においても、必ずしも完璧性を追求することが最善の結果を生むわけではないと理解すべきです


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